経世済民

どうも2ヶ月ぶりにブログ更新。といっても2ヶ月前も大した記事は書いていませんが。

この頃「経済」というモノについて考えています。

あ、先に断っていくとちゃんとした経済学は学んだことがありませんので、そのつもりで以下。

> 追記: 以下楽しい文章ではありませんので読まなくて良いです。

政治ではひたすら経済がよくなれば国民の生活が良くなる。だから輸出をして仕事を作ってお金を回して、ということを建前としています。

さて、本当でしょうか。

お金があれば幸せ、というのはまあ否定しないことにしておいて、そのほかの部分。

子供の頃に経済というものを学ぶ例として以下のような話を聞かされました。

  • A国では1枚のTシャツを作るコストが200円、お米は100円。
  • B国ではTシャツは500円、お米は30円。
  • であればA国はたくさんTシャツを作ってBに輸出し、
  • B国はお米を作ってAに輸出。
  • そうすると全体として見た時に生産に関わるコストは低くなり、全体として「利益」となる。
  • よって正しい輸出、輸入をしようぜ!

現実世界と比較すると色々ツッコミどころは多いです。

例えばA国をTシャツ専用国にしたとして、その後為替変動でB米が120円でしか買えなくなった場合。折角儲かると思って米をやめてTシャツにしたのに、という話になります。

一番の問題はコストが低くなったからといって誰が儲かるかというと、輸出入業者であり、実際の労働者では無いのです。いや、買う側としては安く手に入るのでお得ではあるのですが、売る側としては輸出するような力がない限り何の儲けにもなりません。

そういう意味ではトランプ大統領が自国の産業を保護するために関税を、と言っているのも理解できる部分はあったりします。

輸出入業者が儲かれば、彼らがお金を使い、巡り巡って労働者にお金が回っていく、という事もあるらしいですが、随分悠長な話だなあという印象。

ちょっと話がぶれていますが、経済について。

果たして経済が良くなったらシアワセになるのでしょうか。

現在の日本では色々な政策(例えば TPP, 原発再駆動とか)でもって、ある一部分の不利益を被ってでも経済を全体として押し上げよう、としています。

経済上がれば日本国にあるお金が増えて、労働者の賃金も上がる。

といいますが、おそらく最初に儲かるのは出資者と呼ばれる人々(=経済界?)であって、実際に労働している人ではありません。

輸出→設ける→出資者に還元→(タイムラグ)→労働者に伝播?

株式会社という仕組みの上では当然といえば当然。

企業の社長さんもしっかりと利益をだして出資者に還元できる人間であるからこそ偉い立場に指名されているのであって、還元をせずに労働者の給料(=経費)ばかり上げていたらクビになってしまいますから、そんなことはできません。

というのは言い過ぎだとしても、企業というものが出資者の代弁者である限り、できるだけ安い労働力で、できるだけ多くの利益を得る、という本筋は変わりません。資本主義の欠陥?

よって、おそらく経済が良くなったからといって必ずしも日本全体というか特に底辺の環境が良くなるわけでは無いのだろうなぁ,,, と妄想しているわけです。

じゃあどうすれば良いか。別に共産主義に走れというわけではありませんが、少なくとも

「経済が良くなれば良くなる」

というのは間違いないしは眉唾として捉えるべきでしょう。

今日本がやろうとしている政策の大半は、どうせ経済というものの上に胡座をかいた一部の人がウハウハするだけなんだからやめようぜ、ということ。しかも結構大きな未来への負担を伴っているし、ね。

以上。

金とか儲けるとか書いてたら具合悪くなってきた…

次回はもう少し楽しい話題を探しておこうかな。

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バンザイQ&A

寝ていたのに電話が鳴って目が覚めてしまって、という話をしていて、ふと「なぜ昔は電話が居間ではなく廊下にあったのだろうか」と思いつき → 調べてみたらドンピシャなQ&Aがありました。
なるほど、納得。しかし「ちょっとした疑問だけど調べるのは結構大変そうな疑問」がさらりと解決したことにちょっと驚き。ものの15秒。
 
いい時代になったもんです。いや、もっと(もう少しぐらいは)苦労したほうが良いという考え方もありますが、どうなんでしょうね。ぐるぐる。
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ジンくんと子どもと自分

11月の大雪の日に子どもが生まれました。男子。

先日札幌を歩いていて、BookOff にたどり着く少し前のこと。ある看板が目にとまりました。下のような看板。

ジン君(公式HPより screen shot)

ジン君(公式HPのトップより screen shot)

何となく知っていたのですが、「ジン君」というゆるキャラ。

ゆるキャラなのにもうすぐ食われそうだ、というなんというシュール。

公式ホームページの紹介文は以下の通り。

いつも食べられかけている。
にもかかわらず本人はいたって冷静。
「北海道でジンギスカンを食べた方々に、思い出とともに笑いを持ち帰ってほしい。」
という願いから誕生。
お土産としてもらった方にもぜひ微笑んでいただきたい。

なんというシュール(2回め)。

面白い看板だなぁ、と思うとともに、何かに似ている、という引っかかり。少し考えて思いつきました。

うちの息子に似てる…

2頭身とまでは行かないものの、手足の宙ぶらりんで、状況がよくわからずぶら下がっている表情がなんとも似ています。

改めて今見ると、ほっぺが赤いところなんかも似ています。白い服多いし。

というわけで1人でニヤニヤしてしまったわけで。

月並みですが、なかなか可愛いです。

昔父親に「子どもをもつのも良いものだ、面白いよ」と言われたことがありましたが、確かにそうでした。頭のドンドンよくなるペット(ポケモン?やったことないが)を飼っている感じ。1ヶ月目で表情が出てきて、このごろは「ハロー」と声をかけると3回に1回ぐらいは反応して「ハオー」とか何とか喋っています(機嫌がいいとき限定)。

しかし、自分に置き換えてみた時、粗相をするたびにおしめを替えられていたわけで、ああ、これはやっぱり父親と母親には頭があがらないなあと。

そういうことを思いつくきっかけになっただけでも子どもを授かってよかったと思います。いまが可愛いさかりで、大きくなってからが大変だと思いますが…

ま、しばらくは親バカしそうです。

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冬の入り口

12月にもなってしまいました。

今日は本州ではシクロクロスの全日本選手権だったり。仕事、というか研修はおやすみでしたが、他の農家さんのところへバイト、というかお仕事へ。

雪がさんさんと降る中、ワインブドウの枝引きを朝から日没まで。

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枝引き

久しぶりの他の畑は新鮮な感じでした。途中から雪がざんざん降りになって大変でした。ちなみに足元の積雪は45cmぐらい(体感で)。

研修は順調にすすんでいるものの、将来の土地についてはまだ目処は無し。カウントダウンされている気分で少し憂鬱です。ま、焦って気軽に頑張ります。

というわけで近況報告でした。

何を書きたかったか忘れたわけではありませんってば。

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ドンパ

ドンパというワードをご存知だろうか。

漢字にすれば同輩、同学年といったところ。おそらく北海道弁なのか、北大のローカル語なのかはわからない。

要するに自分と同等の位置にある人、というか友達だ。

先日、友達の知り合いと食事しながら話す機会があった。今年の春に、初対面ながらその友達と一緒に家に泊めてもらっている程度の付き合いで、実は会うのは今回で2回め。実は顔ももう忘れていた。ちなみに女性。年上か年下かはよくわからない。

食事と少しのお酒も入りながらワイワイとやったのだが、かなりフランクな感じで話してくれて、こちらも釣られて(?)対等ぐらいの感じで喋ってしまった。お互い敬語はほとんどなく、「気が置けない」とはこういうことを言うのだろうか。

新鮮だな、という感覚があって、それが心地よかった。

高校や大学では同学年同士ならば絶対的対等関係があったが、大学を出てからは上下関係なしの人間関係というのは稀だったように思う。

東京という密集した都市であった、というのも関係しているかもしれない。上司との会話もお互いに敬語、部下的な位置にあるスタッフに対しても敬語、バイトの学生君に対しても敬語。必ず上か下かという位置が存在していたし、加えてほとんど全ての人の名前に対して「さん」を付けていた。

それが息苦しい、というのでは無い。むしろ逆だ。

上下関係は関係性としてわかりやすいし、組織や密着した付き合いの中では必要なことだ、というよりあったほうがスムーズに物事が進む場合が多いだろう。対等というのはけっこう難しい。難しいよりは上下があったほうが「楽」だ。

しかし、今回ドンパ的な関係を経験してみて、これは良いなと実感した。

敬語で喋らなくて良いとかではなく、お互いに気持ちを共有できるパイプラインがつながっている感じといったら良いだろうか。以心伝心と表現するには大げさだが、感覚としては似ていて、それで、お互いの心持ちのベースが揃っている感じといったら良いだろうか。表現が難しい。友達以上、家族未満?

そんなこともあり、対等な関係性は大人としてはレアで、これから利害関係を持つ人の方が増えるだろうが、ドンパになりえるヒトは大切にしたいものだ、と思ったのでした。

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王様の気持ち

この所、天皇陛下の生前退位についてが議論されている。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160808/k10010627431000.html?utm_int=news_contents_news-main_002

政治的な話はするつもりはない。ただ、今回のことで色々と考える切っ掛けになっている。

シンボリックな王様としての運命に沿って生きてきた天皇。生まれた時には未来の王様としての運命を予定調和として感じ、それから80年あまりという歳月を生きてきた。

「普通の人」としての人生を送ることができない、という縛りのあった人生だと思う。そんな流れを当然として受け止めることができてきたのか、しょうがないもの、運命だと捉えてきたのか。それとも抗ってきたのか。

自分だったらどうだろう。ほかの人とくらべても、まともに就職しなかったり、今まで何物にも縛られずに思うがまま生きてきた部分は大きい(最近はそうでもないが)。それがもし「やってはダメ」であったのなら。なかなか、息苦しい。いや、ダメであることがではなく、「ダメ」と制限されることが息苦しいという方が正しいか。

月並みな表現であるが、制限されない生き方というのは幸せなことだと思う。

今回の1件については、生前退位でも「普通の」人にはなりようもないが、少しだけ足かせをゆるめたような、老後の時間を用意して差し上げてもいいのじゃないかなと思う。なにせ80年以上もたゆみなく働いているのだ。退職金としては少なすぎるくらいだ。

政治さえも語ることのできない王様。僕の住んでいる国の代表という名前を背負って歩き続けてきた王様。その胸中を考えるが、「普通」から遠すぎるがゆえ、なかなかに察し得なく、可哀想というよりか少し悲しい気持ちになってしまう。

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祭の後に

ブログ更新がご無沙汰です。1記事/1ヶ月ははるか遠い目標ですね…

7/17 に、あるワインイベントをほぼ主催者(というか雑用係)として開催しました。

そのイベントを何故、何のために開催したのか。啓発も含めて、そんな話をウダウダと書いてみたいと思います。

例えば。

たとえばですよ。

あなたは4人家族、3歳と4歳の娘がおり、念願の庭付き一戸建てを手に入れました。庭いじりが趣味だったので、数年をかけて手を入れ、立派なガーデンになりました。そしてある時、ちょっとしたはずみでガーデニングの雑誌で紹介され、有名になりました。

その少し後、休日に家の中でくつろいでいると、庭に誰か居るのに気づきました。お客さんだろうか。

出て行くと見知らぬ人が1人。カメラを構えて庭を撮影しています。

「あ、どうも。ちょっと見させてもらってます。」

,,,

さて、あなたがこの家の主人だったら。

ワイナリーというもの、ブドウ畑というもの。

Winery とは何でしょう。

景色がよくて、ぶどう畑があって、ワイン工房があって、レストランがあって、教会があって結婚式場があって、売店でお土産とワインが買えて、ピクニックができて、ガーデンがあって

というものでしょうか?

違います。

狭い意味では、ワイナリーとは「ワインを醸造している場所」です(*1)。

もちろん、ワイナリーによってはレストランも売店もあるという所もあります(観光型)。一方で売店すら無い「ただの工場」であり、ワイナリーと呼ばれている場所もたくさんあります。「ワイナリーは醸造所」ならばレストランや売店はオマケとも言えるかもしれません。

ワインブドウの畑についても同じことです。観光型ワイナリーには「見せる畑」もあるかもしれませんが、ほとんどの場合、ブドウ畑は「生産の場」であり、それ以上のものではありません。

とくに畑については農家さん個人の持ち物であることがほとんどです。「庭」と同じですね。法律的に言うと私有地というやつ。

要するに普通は勝手に立ち入って良いモノではない、ということです。

どうもこの頃勘違いしている方がいらっしゃるようで、周りからいろんな話を聞いています。ひどい場合では無断で入ってきた上に挨拶せず、名乗らず、要件を話さずという人もいたとか… 対策で看板を立てたりロープを張ったりしている畑も出てきています。

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ただ、ワインというものの性格上、どんな人がどんな場所で作っているのかは気になるものです。観光型ワイナリーじゃないなら絶対訪問禁止、というのではありません(*2)。

どうしても見てみたいのなら、最低限

事前に連絡をしてください。

たまたま思いついて寄ってみたという場合ならば、挨拶して「どうしても見たいのですが」と頼んでみましょう。畑の持ち主に会えないのならば諦めましょう。

それだけ。当たり前といえば当たり前。

(もちろん連絡が付いたとしても、忙しいので見学・案内はお断りしている、という場合もありますが、それはまた別の話。)

もし、今のようなモラルの欠けた状態が続くのであれば、余市のワインブドウ畑にはロープが張り巡らされて、「立入禁止」「撮影禁止」といった看板が風に揺れることになってしまうでしょう。

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そんな風景は嫌ですよね?

畑と飲み手をつなぐ

農業というものの大変さを感じている方の中には

「XXX のワイン畑行ってみたいけど、忙しい時期のはずだし、訪問は迷惑だよね,,,」

と遠慮する方もいらっしゃいます。

極端を言うと、そのとおり。

足し算引き算だけで考えると、畑の説明をする時間の代わりに葉っぱむしりをすれば、ワインはその分だけ良くなります。

が、現実にはお客さんからの自分のワインの評価を直接聞いたり、逆にワインをアピールする機会だったりと、無意味な時間とはかぎりません。それに加えて、ただ「ブドウ畑・ワイナリーという場を知って、それも含めてワインを楽しんで欲しい」というシンプルな気持ちを作り手が持っているのも事実。

でもやっぱり仕事のメインは農作業であり、畑にドサドサ来てもらっても正直困る…

じゃあ、イベント1日だけやろうか。

というのが昨年、2015年でした。

「普段遠慮して来れないような人にもイベントとして楽しんでもらおう。」
「農作業1日だけ空けるぐらいなら大丈夫かな。」
「地区のワイナリーと畑を一斉オープンにしたら面白いよね。」
「畑オープンするなら、その畑のブドウのワイン飲みながら,,,」

余市町のワインブドウをアピールしよう、という意図もあります。

今回のイベントは

「畑と飲み手をつなぐ場」

として成長していって欲しいと思っています。

1 年に1発だけのイベントならば、畑を見たい飲み手を、農家さん・ワイナリーが無理ない範囲で受け入れられますし、参加者も気兼ねなく訪れることができるでしょう。時間としては短いイベントですが、お互い快適に持続可能な関係性のためにはちょうど良いぐらいなのかなと思います。

それに、今回のようなオープンな場を設け、「今日だけ特別オープン!」と発信することにより、逆説的に「ブドウ畑は基本的には普段はクローズドなのよ」という正しい認識を広める作用もあるのかなとも思います。

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以上のような事をぼんやりと考えながらほぼ1ヶ月ほど、イベント開催に奔走していました。最後に頭の中をまとめてみよう、というのが本記事の趣旨でした。あまりきちんとまとまってはいませんが。

イベント自体については楽しかった!という声も聞こえてきて、やって良かったな、と感じています。

来年は人数も増えて大変になりそうですが、また頑張りましょうかね。

*1: 言語的な話ではなく、日本での「ワイナリー」という言葉の位置が、というお話。

*2: ただし「普段ワイン飲まないんですけど〜」という状態での訪問は作り手さんに失礼です。さすがにタダの観光の相手をするほど暇ではありません。

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